表題が不適切と考える方もいらっしゃるとは思いますが。。
殺人容疑で19歳名大生逮捕「殺してみたかった」 斧で77歳女性殴り首絞め
名古屋市昭和区のアパート室内で女性の遺体が見つかった事件で、
この部屋に住む名古屋大の大内万里亜(19)を逮捕した。
調べに対し「子どものころから人を殺してみたかった」と容疑を認めている。
また、「高校時代、友人に毒を飲ませ友達には障害が残った」と
供述していることが明らかとなった。
和歌山県の小5男児、胸を刺され死亡 犯人は逃走
和歌山県紀の川市で小学5年の男の子が何者かに刺されて殺害された事件で、
男の子は複数の凶器で襲われた疑いがあることがわかった。
死因は胸を刺されたことによる失血死で、傷は右胸から心臓を貫通。
頭には骨が割れるほどの傷が2ヶ所あった。傷は約10ヶ所で即死状態だった。
私の感覚が”一般人”と同じであれば、もう”普通じゃない”んですよね。
片や「殺してみたい」という衝動そのままに突っ走る。
片や10歳の子供をホラー映画のような残忍さで殺める。
なにかどこかに”欠陥”があるとは思いませんか?
子供は残酷
暴力的な衝動って、恐らく多くの人が潜在的に持っているものだと思うのです。
子供の時に、アリの巣に水を流し込んだり、トンボの羽をちぎったり・・・
幼少期、今思えば驚くほどに残酷なことをした記憶がある方も多いと思います。
正直に言いますが、私もその一人です。
左手に捕まえたトンボ、右手にはバッタ。バッタをトンボに食べさせて、
その様子をまじまじと見ていたこともありました。
科学的な考察があるのか、理論的な根拠はあるのかわかりませんが、
そういうのを通じて「生と死」「命とその儚さ」を理解していくように思えます。
# 必ずしも”その経験のみで理解する”というわけではないでしょうが
なんかですね、そういう「年齢を重ねることで誰もが得るもの」を
この人たちは持ち合わせていないのではないか?
その”残酷な遊び”を、今この年齢で、対象を人間にして行っているのではないか?
そう感じます。
どうせ後者は、例の「責任能力(*)うんぬん」になるような気もしますけどね。
偉そうに書いている私が、傍から見て果たして”正常”なのかわかりませんし、
我が息子・娘が一般的に言う”正常”に育ってくれるのかはわかりません。
ただただ、こういう目に遭わない、こういう目に遭わさないよう気を付けるだけです。
* もしよろしければ下記ご覧になってください
http://diary.kimiope.net/blog/archives/601
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