権利

先日、昼を食べた後にのんびりと適当なサイトを見ていた。
気ままにリンクをたどって行ったら、こんなサイトに行き着いたのだ。
・見世物小屋に入った事ある奴いる?
 http://occult4cica.blog50.fc2.com/blog-entry-171.html
「見世物小屋」って行ったことは無いけど、おおよそは知っている。
Wikipediaより;
 珍品や奇獣、曲芸などの出し物を行う小屋。
 江戸時代の頃には今で言うサーカスや美術館、動物園の要素を含んでいた。
 昔は奇形の子供も、性行為も覗き穴で見せるなど、文字通り何でも見世物にした。
 時には誘拐された子たちが人身売買で売り飛ばされてきた。
 足の筋を切られた被虐的な道化役や、覗き穴の娼婦にするためにである。
要するに、奇抜な芸や障害や奇形のある生き物(人間含む)を見世物にしてた感じ。
こういう「アンダーグラウンド」と言うか「日の当たらない世界」と言うか、
そういうのけっこう好きな変態の私は、下のほうまで見ていった。
で、こんな書き込みがあった。
> 同じ事をプロレスの前座をやっていた小人人間が言ってた。
> その小人人間はプロレスが大好きで
> 「自分が唯一輝ける場所がリングなのに、
>  人権団体がうるさいからプロレスが出来なくなった。生き甲斐も仕事も失った。」
> と言っていた。
> そして
> 「自分は人前に出てはいけない人間なのか?
>  唯一の認めてくれる場所を失って死ねというのか?
>  俺たち(小人)は寿命も短いんだ。死ぬ前にもう一度リングに上がりたい」
> とも言っていた。
> 人権団体が一番人権無視をしているんだと思った。

うーん。。
「なんちゃら団体」って、時にその目的と手段がズレているように感じる。
ほら、あったじゃない?
とある捕鯨反対団体が、運送業者から小包を盗んで中身を勝手に開け、
それを得意満面でマスコミに披露してた事件。
“捕鯨反対”を掲げるのは勝手だけど、そのために”盗みに入る”ことが
さも正当であるかのような精神構造が気持ち悪く思える。
なんていうか、こう、盲目的になっちゃっている感じだよね。
「障害者の扱い(って書くのもどうかと思うけど)」って、難しい。
不自由な部分に関しては支えになったりする。
別に特別なことじゃなく、子供が手が届かない物を取ってあげたり、
お年寄りに席を譲ったりするような、普通のこととして。
ただそれが行き過ぎたり、当人の意見を無視する形で”過剰”に擁護したり、
それはそれで立派な”差別”になるんだと思う。
障害者だからって仕事を奪っちゃいけないし、スポーツやっちゃいけないわけないし、
悪いことをしたら相応の償いをしなくちゃいけない。
同時に拭いづらい意識として、健常者が持っている「してやっている」という意識。
「不足している部分を補ってやっている」という意識。
それが過剰に歪むと、先日の「障害者と健常者」のように
過剰に障害者の権利を主張し出す輩が出てくるのではないだろうか?
“普通に接する”だけでいいとは思うんだけどね。
もちろん障害の内容や程度、その辺りでの違いはあるにせよ、
障害者だろうとなんだろうと普通に権利があるし、それ自体が普通のこと。
けどそれ、けっこう難しいことなんだな。難しいわけ無いんだけどさ。

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