こんなの見つけた。
・未成熟な親、相次ぐ虐待… 10~20歳代が半数
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100804-OYT1T00065.htm
未成熟な若い親による虐待事件が止まらない。
大阪市で幼い姉弟2人の遺体を遺棄したとして逮捕された下村早苗容疑者は23歳。
今年相次いだ事件でも20歳代前半の親による犯行が目立つ。
若い親に集中する虐待を止める手立てはあるのか。
厚生労働省が把握した子供67人の虐待死を調査したところ、
死亡時の実父と実母(計97人)の年齢層は
-「20~24歳」が21人と最も多く、
-「25~29歳」が20人
-「19歳以下」が6人
で、10~20歳代がほぼ半数を占めた。
…
ふむふむ。。。
若い親が未成熟なためか、虐待死の半数を占めるわけね。。
ん? ちょっと待て。”半数”ってことは、残りの半数は???
母数が97のうち
19歳以下 6.2%
20~24歳 21.6%
25~29歳 20.6%
ここまでの合計で、約48.4%ってことでいいんだろうか?
ってことは30歳以上が51.6%であり、むしろこっちが多いんでは?
記事では、見るからに「若い親の虐待が多い!」と読ませるような書き方だけど、
むしろ数値的には30代以上の親による虐待死が多いんじゃないだろうか?
いや、別に親が何歳だとか関係無いとは思うんだけどね。
若くたってしっかりしてる人もいれば、いい年してゴミなヤツもいる。
子育てに限らずにそういうもんじゃない?(あまり偉そうに言えないが…
なんでもいいから、虐待で命を落とすような事件がなくなればいいよ。
自分に子供がいるとさ、どうしても重ねて考えてしまって胸が痛いんだよね。
もし珠希や麗香が、、
-クーラーも無い蒸し風呂のような部屋に閉じ込められたら…
-食べ物はおろか、水さえもなく飢えと渇きに苦しんだら…
-泣いても叫んでも誰も来てくれず、夜は真っ暗闇で布団も無く…
なんて思うと、たまったもんじゃない。
親の年代を把握することで、こういった凄惨な事件が減るならいいけどさ、
でもこういうのって、年代うんぬんよりも個々人の資質とか人間性だと思うんだな。
コメント
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年齢・性別は関係ないよね
それは、いま日本の政治を預かってる人たちを見ても解るしね
年取っててもヴァカはヴァカだし若くてもしっかりした人はたくさんいるしね
歳よりは人生をドレぐらい濃く生きてきたかとか、親からどんなしつけ・教育を受けてきたとかで、人格が形成される
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>大ちゃん
うん、年齢とか関係ないと思うんだ。本人の問題。
自身が虐待されて育ったから、親となった今、自分の子に虐待してしまう、、
そういうのは実際にあるんだと思う。
けどね、それが冷酷に命を奪う理由として正当化は到底できないと思う。
>匿名さん
確かにこの記事の"数値"は、なにか特定のことを読者に刷り込もうとしているようで
信用ならない臭いがプンプンしてきますね。
なんでもいいから、こういう事件が少しでも減ってほしいです。ホントに。
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通りすがりで、過去のエントリーに書き込みするのは
心苦しくもありますが、一言
今の世の中「個人の資質」と言われすぎ。
その資質を作るのは誰?社会でしょう。
社会を作るのは誰?私たちでしょう。
子どもをネグレクトしている親がいる。
でも、行き詰ってどうにもならなくなっている家庭や親を
社会もネグレクトしている。
育てるって別に自分の子のことだけではなくて、
職場の後輩や地域の若者やこどもたち
みんなのことだと思います。
自分も「大人として」「職業人として」「家庭人として」「親として」「地域人として」
「祖父母として」育っていかなければならないのですし。
大人一人ひとりが「育てる」「育つ」ということに対する感性や責任を
いいかげんに考えていないか考える必要があると思います。
失礼いたしました。
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>おーどりさん
別に悪い意味で反論したいわけではないので、その点はご理解ください。
> その資質を作るのは誰?社会でしょう。
> 社会を作るのは誰?私たちでしょう。
だからこそ、個人の資質だと思います。
誰もが"社会"の中で生活している。
その中である者は虐待し、あるものはしっかりと育てている。
父親がアル中で母親が共依存、子供に虐待し、その子供もやがて自分の子に、、、
という絵に描いたような家族もあれば、そうならないケースだってあります。
"個人の資質"という言葉で全てを切り捨て、責任を1人に負わせる意味ではなく、
子供を虐待するか否かは、客観的な意味でその親個人のせいだと思っています。
「社会の責任」とするほうが不自然ではありませんか?
その言葉が免罪符となる懸念はありませんか?
虐待された人は、我が子にも虐待してしまうという。
でも必ずしもそうではなく、逆に絶対に虐待しないと誓っている人もいるでしょう。
そこで虐待してしまう親の育ちの不幸にさらに鞭打って"個人の資質"と
責め立てているわけではなく、人によってはそうとは限らずこの人だからこうなった、
と、客観視して考えることが必要だと思っています。