アイシテル -海容- その2

その1はコレ↓
http://diary.kimiope.net/blog/archives/1025

結局、原作本を買っちゃった(笑
ドラマってどうしても”変えている”部分があるだろうから、どうせなら元を、、 とね。

とりあえずサクッと上巻だけ目を通したところ。
女性用の画風だけど、読んでみるとけっこう面白いと思うよ。


アイシテル~海容~(前編) 

 アイシテル~海容~(後編)

で、やっぱり興味あるんだよね。自分にも2人の幼い子供がいるだけに。

前に書いたとおり”子供は生来の悪として生まれたわけではない”と思うんだ。
この加害者の子供も、おそらくモデルであろう神戸連続児童殺傷事件の「少年A」も。

確か「少年A」の事件の時、特異な先天的なものに原因を求める意見が多かった気がする。
こんな猟奇的な事件を起こしたのは、この「少年A」自身が最初から”異常者”だと。

でも、やはりその意見には賛成できないんだよね。
この”先天異常”という結びつけは、”安心を得るため”のこじつけに過ぎないのでは?

人間って、自分の理解できないものや論理で片付けられないものを恐れる。
妖怪や幽霊が怖いのは、それが”ナニモノであるか説明がつかない”から。

同様にこんな事件を起こした「少年A」に関しても、
 -なんでまだ14歳の子が、こんな事件を起こすのか?
 -両親だって、問題はあったにしても普通の許容範囲だったのでは?
 -じゃあやっぱり、「少年A」自身が”狂った人間”だからだ!
と理論付けし、同時に「ウチの子は違う」という安心感を得るためなのではないか、と。
自分の子育てを肯定するため、教育方針の違いでこんな事件を起こす子にならない、と。


話は戻って「アイシテル」に関して。

父親は家庭を妻に押し付ける無責任な存在。
論外。「少年A」の言葉を借りるなら”透明な存在”。

母親は子供に教育してる自分に酔うような教育ママ。(原作ね)
そのくせ、子供が昆虫好きなのすら知らない、表層だけの母親。

なんていうか、子供への向き方が違うんだよね。

確かに仕事を辞めキャリアを捨て、子供のために手間掛けていい食事を出し、
熟にも通わせて”子供のため”にいろんなことをしている。確かに頑張っている。

けど、本質的な部分で子供に向き合っていない。

子供って、無条件に親の愛情を欲するものだと思うのよ。”親しかいない”から。
親であれば、子供がいるし自分の親もいる。伴侶もいれば昔からの親友もいる。
けど子供のよりどころって、親しかいないんだよね。

そこにズレがあると、子供からすると持って行き場の無いストレスが蓄積されてしまう。
だからね、ある意味加害者の子だって被害者なんじゃないのかな?
もちろんさ、だからと言って人の命を奪う理由にはならないけど。。

あとね、私が思うにはよく被害者の姉がグレなかったな、、 と。
存在するのが当然のように扱われ、勝手に「強い」とレッテルを貼られ。。

加害者の子と同様に、向き合ってもらっていないように思える。
うまく表現できないな。。

なんかね、「アイシテル」というこのカタカナ。「愛してる」という漢字でなくカタカナ。
これが、まるでロボットが話す合成音のような、
渇いた意味の無い無感情な響きに感じて仕方ない。そう、加害者の母親の声。

被害者にならないことより、加害者にさせないことのほうが難しいのかもね。

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