親の存在価値

ベンチに1歳ちょいの子を座らせていたら、後ろに倒れた。
後ろには植え込みがあり、枝が刺さってその子は命を落とした。
その結果、ベンチに背もたれをつけず、植え込みを植えてた市に賠償命令。

愛する子供を失った辛さは、痛いほどにわかる。
いや、「わかる」なんて軽々しく言えないけどね。
けど、これって、
・親は背もたれが無いのを視認していて、
・我が子がまだ安定して座れないのを理解している親が、
・自らの手、判断で子供を座らせ、
・その親自身が離れて立ち話だかして放っておくから、
・なんの罪もない子供が後ろに倒れ、
・どこにでもある植え込みの枝に運悪く刺さってしまい、
・不幸にも命を落としてしまった。
わけでしょ?
そりゃね、子供が多く来る公園で、切り口の鋭い枯れ枝があったら危険かもしれない。
でも、車道と歩道の段差でつまづいて、ガードレールに首筋が当たって切れちゃって
それで命を落としたらさ、それも訴えるの?
歩道橋から転んで落ちたら、階段がコンクリートで硬いから怪我をしたと訴えるの?
危険を予測できない人が多過ぎる。
前にも書いたことあるけど、
・人の流れの中で、携帯が鳴ると急に止まるヤツ
・自転車の前カゴ部分に子供を乗せて、曲がり角を確認もしないで曲がってくるヤツ
・交差点直前でいきなりウインカー出して曲がるヤツ
こんなのばっか。
小学生の低学年の時にね、下校途中に友達と「あの壁まで石を投げて届くか」って競争をした。
その壁の向こうは駐車場で、数台のガラスを割って、親にコテンパンに怒られた。
「壁の向こうに車がある」こと、を知っているか知っていないかじゃないんだよね。
「壁の向こうに石が飛んだら、どんなことになるか」を想像できるかなんだよね。
「石を投げることはどういうことか」を理解し、その結果パターンを想像できるかなんだよね。
公園はベンチもあるし、ブランコもあるし滑り台もある。
向かい合うシーソーはもうなくなっちゃったんだっけ?
でも、遊具があって植え込みがあって、ベンチがあるのが公園。
子供は、ふざけてブランコのチェーンを首に巻いたりするかもしれない。
子供同士がふざけあって、何かの拍子に滑り台の上から頭から落ちるかもしれない。
鬼ごっこして転んで、その先にたまたまベンチがあって頭に当たるかもしれない。
どれも、”運が悪けりゃ”命を落とす可能性があるもの。
だから、それだから親が一緒に公園に行くんだよね?
親が小さい子の面倒をみるのって、そういう”子供には予見できない事故”から、
大切な子供の命を守るためだよね?
そして、少しずつ子供自身で予見できるように、教えていってあげるんだよね?
それができないなら、日本中の公園は潰せばいい。
アスファルトの舗装もやめ、国中のいたるところに、
柔らかい人工芝や、衝撃緩衝材でも敷き詰めればいいよ。

ま、極端な話、判決はどうでもいいや。おいらが何を言ってもどうにもならない。
けどとりあえず、大人なら誰でもわかるレベルの”想像力の欠如”のせいで、
ウチの珠希を殺すようなことは絶対にしない。
昼飯食いながら書いてたけど、せっかくのねぎとろ丼が全然おいしく感じなかったよ。。。

コメント

  1. 七氏 より:

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    責任転嫁しかできない親には、子どもを産む権利を与えなければいい。
    市に賠償どころか、親による殺人だろ。

  2. きゃすばるにいさん より:

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    >七氏さん
    "殺人"かどうかは、司法による法的見解によるんでしょうけどね。
    ただ、「命を落としたのはお前の責任だ」と言ってやりたい。

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