雑多に

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ウダウダと。
・叱ること
必要だし重要だと思っている。
極端な例だけど、例えば電車の席で窓の外を見ようと土足でシートに立ったとする。
「外を見たいよね。でも立ってたら危ないから座ろうね。」
じゃあ全然ダメだと思うんですよ。
ここで教えるべきことは「シートに土足で立ってはいけない」ということであり、
それを伝えないのでは結果論として座ったところで、なんの解決にもならない。
「座るところだから、靴のまま立ったら汚くなっちゃうでしょ。ダメだよ。」
と靴を脱がし、立てひざでもつかせて外を見させれば良いと思うんだ。
子供って天真爛漫の天使であるけど、同時になんのルールや道徳を持ち合わせない
抑えのきかない無秩序な悪魔でもあると思うの。
だからこそ、小さいうちから”大人の価値観”で善悪を教える必要がある。
“大人の価値観の押し付けは良くない”とかって意見も聞いたりするけどさ、
じゃあなにを基準に”悪魔”から”人間”になるというのだろう?
自分で覚えていく? それまで待つの? それは違うと思うんだ。
・無関心
レストランの中で走り回っている。電車のなかで大声で騒いでいる。
周りは明らかに辟易しているのに、他人事のように放置か
もしくは口先だけで「ダメよ」と言うだけで制止しようとしない。
これね、重大なネグレクトだと思う。
他人に迷惑を掛ける行為をやめさせる親としての義務の放棄。
子供にそれを教育、身につけさせ成長させる機会の放棄。
以前、とある知り合い親子がウチに来た。
4~5歳の子供だと思うが、麗香を妊娠中のかみさんに飛びついたり、
案内していない寝室に勝手に入って行ったり、
なのに「知った仲」での甘えか、その母親は一言も注意しなかった。
もう2度とその親と顔を会わせることは無いと思う。
叱るべきタイミング、褒めるべきタイミングでそれをせず、
まるで子供に対し無関心のように過ごすのは非常に罪だと思う。
・我慢させる
これは前から悩んではいたんだけど、先日の本を読んでほぼ確信に変わったこと。
例えば私が何かをしている際、珠希が遊んでとねだることが多々ある。
もちろんすぐに応えられるときは遊んであげられるが、そうでないときもある。
そんなときは無理して遊ぶのではなく、
「ちょっと待ってね。今パパはお仕事してるからね。」
「パパ忙しいから無理なの。明日にしようね。」
と言い聞かせ、我慢させるときは我慢させる。
最初はダダをこねていたけど、もう最近は「うん!」と素直に聞けるようになった。
闇雲に無尽蔵に願いを叶えるんじゃなくてね、
“全てが思い通りになるわけじゃない”という至極当然のことを
小さいウチから少しだけでも理解させるのって、とても大事な気がする。
なんかさ、「我慢できない子」「キレやすい子」とか話題になるじゃん?
これね、この”我慢”のトレーニングが足りなかった部分もあるのではないかと。。
もちろん根拠があるわけじゃないんだけどね。なんとなく。
・逃げ道
NEeDSさんのコメントに対しちょっと書いたけど。。
珠希がなにかやらかしたとき、けっこうガツンと叱ったりする。
ただ、かみさんが叱っているときは私は何も言わないし、逆もそう。
なんていうかね、両親ともに叱り、珠希の心の逃げ道が無いということにならないよう
気を遣っていたりする。
片方が”甘やかす”というわけではないけど、
どちらかが激しく叱る代わりに、もう片方は「よしよし、もうしないんだよ」と
泣いているのを優しく抱っこして諭すように言い聞かせる。
なぜかと言われても明白な根拠は無いんだけどさ、
叱ることに置いてあまりに追い詰めると、それは大きなダメージになりそうでね。
・体罰
決して体罰を推奨するわけでは無いです。でも必要だと思う。
まず、命に関わるとき。
部屋でジャングルジムに登っている麗香がいるのに、珠希が踏み板を外し麗香が落ちた。
まあ頭から落ちたわけでもそんなに高いところでもないけれど。。
でも下手をしたら命に関わるよね。
そんなときは、「全てにおいて最重要なこと」とわからせるためにも
体罰があって良いと思う。
あと、その痛みをわからせる必要があるとき。
小さい頃ケンカしたヤツほど、大きくなってから無茶しないって言うじゃん。
小さい頃そういう経験の無いヤツほど、限度を知らず命を奪ってしまう。
そういうニュアンス。犬や猫だってじゃれ合うことで加減を知る。
で、その”他人の痛み”を知ることで「相手に何をしたのか」「どんな思いをさせたのか」
をちゃんと理解させて、だから「ごめんなさい」に繋がるのではないかと。
口先だけで「ゴメン」と言い許してもらう。自分の中の踏ん切りのため。
そういう感じで、謝ることが”自分が楽になるため”の手段となってはダメだと思う。
・プラスの言い方
あれもダメ、これもダメと否定的な育児なりがちだよね。
「散らかしたらダメでしょ。片付けなさい。」と。
そうじゃなく、「一緒に片付けよう。競争だ!」という方向に持って行き、
上手に片付けられたら褒めてあげる。
それにより自発的な片付けへの抵抗をなくし、自分でできるようにする。
下手すると「悪い意味で叱らない教育法」になっちゃうから注意が必要だけどさ、
やっぱり子供って、親に褒められる事ってものすごく嬉しいことだと思うんだよね。
もちろん「○○したら怒られる」というネガティブな抑止力も大切だけど、
幼いウチは「○○すると褒められる」というポジティブな助長力(?)も大事だと思う。

眠い中思い浮かんだことをズラズラ書いて、ろくに見直しもしていないから
どっかに矛盾や意味不明なことが書いてあるかも?

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コメント

  1. 大工 より:

    SECRET: 0
    PASS: b90550e8e80aee22f023fe0e570068f0
    眠い眠いぞシァア。
    ここ数日で体重5キロ減&睡眠不足のため頭が朦朧としている
    おいらには長~すぎてまともな判断はできないが、
    愛情のある体罰はかならずその真意が伝わるはずだよ。
    あ、ここ半年まともにコメントゲリラしてなかったから
    passなんだったか忘れちった…ま、いっか
    したらば風呂入って寝る…以上
    2009/02/24 22:05
    目つきの悪い青年が快く削除に応じてくれたので
    おいらも不必要な部分を削除しますたm(_ _)m

  2. NEeDS より:

    SECRET: 0
    PASS: c59f1efae05fb4f4624e52b4178b45fc
    是。
    親の心子知らずってこともあるから、うまくいかんことあっても子の成長と共にいつかは知るよ。
    >なぜかと言われても明白な根拠は無いんだけどさ
    それはね、学習の時間を持たせることなんですよ。
    ダメと言われてパニくってる(でなくとも判ってないわけで)のを落ち着かせ覚えさせる為。
    #拒否に合うのは人それぞれ事情/環境が違う、個性(考え)が違うということ
    #生きて行くには人との関わり方を学ばねばならない
    体罰がすべて悪いするのは間違いと考える。
    他を傷つけることがいけないのは確かだが、傷つけられるのもいけない。
    それを知らないものにどう教えるかという問題で、画一的に否定できるものではない。
    "暴力"との違い、"体罰"と"身を以て教える"の違いを混同しないよう議論では必要でしょうね。
    人との関わり方知らぬものに理詰めだけで判らせることできるでしょうか。
    #やけどしない程度に熱いものに触れさせて、
    #「危ないからさわっちゃダメよ」
    #これ体罰(罰ではないけど^^;)と同じ
    学習なんです。
    いけないことして、その等価(?)としてペナルティを科す、その目的はと問うもので、
    いけないことしたんだと言うことを身を以て知ることができるか、何故いけないかを知ることができるか、それらは社会に生きる為に。
    理で知ることができるかどうかは人それぞれに違いがあると言う点でも...
    #理は後から付いてくるもの(それが成長、獲得した者を大人と呼ぶ)

  3. きゃすばる より:

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    >大ちゃん
    こちらでは久しぶり。私も眠いししんどいし死にそうです。。
    > 愛情のある体罰はかならずその真意が伝わるはずだよ。
    うん、「叩きっぱなし」ってんじゃない、愛情として必要なものであれば
    それが後を引きずったりってのは無いと思うんだよね。
    もちろん、思いっきり叩いたりするわけでもないし。
    >NEeDSさん
    > 子の成長と共にいつかは知るよ。
    そう言って頂けると救われます。
    "躾(片付けするとか挨拶する)"とかと、"コミュニケーション力"って違うと思うんです。
    「いつも挨拶をするいい子だった」のに殺人を犯すのは、
     -躾はできていたけど
     -コミュニケーション力が欠如していた
    と思うの。
    ここでの「コミュニケーション力」ってのは、ここでは他人の痛みを知ったり、
    他人の気持ちを理解してやったり、自分を他人に置き換えて考えてみたり。。。
    そういう力。すごくかいつまんで表現すれば、"優しさ"。
    それをしっかり身につけさせることが大事だと思うんです。
    親のためではなく、その子供のために。

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