所詮は傍観者なのか?

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3月11日に起きた東日本大震災から、もうすぐ1ヶ月となるね。
未だ救援活動、行方不明者の捜索が続けられる中、世の中の関心事は原発の状況、
夏の電力のこと、国内の景気や雇用情勢になりつつあると感じる。
もちろん、経済を立て直すことやいち早く原発を鎮めることは重要なのだけど、
なんか人情的に引っかかると言うか、スッキリしないモヤモヤ感がある。
CMでは海外のサッカー選手が、「1人じゃない、頑張ろう」と励ましている。
国内外問わず、多くの義援金が集まっている。
有志によるボランティアや、被災者を励ますイベントが行われている。
私は僅かながらの寄付をしただけ。日々の忙殺を言い訳に、他にはなにもしていない。

こんなの見つけた。
・頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
 http://anond.hatelabo.jp/20110407001402
こう言われてしまうとね。。。 非難する意味じゃなく。
立場、状況が違うのってどうしようもない事だと思うんだ。
softbankの孫氏が莫大な寄付と今後の報酬を復興のために、、 と言った。
「金持ちが余剰金を回してるだけだろ」という見方をすると、そうなってしまう。
経済の観点から見れば、過剰な自粛ムードは非常に良くない。
けど、被害の少ない立場だからそんなのん気なことを言えるのかもしれない。
では、何もしないことが最善なのか?
それは違うよね。
どんな事象、行動にも多面性があり、人により捉え方が違うのは仕方ない。
私は被害はほぼ皆無。ゆっくり寝られる家があれば妻も子供も笑顔で元気にしている。
毎日暖かい食事はできるし、先週は軽く飲みにも行った。
別にそれを被災地に行って自慢する気など毛頭無いけれど、そういうものなんだよね。
たまたま、震源地に近かった。たまたま震源地から遠かった。それだけ。
この”兄”は、果てしなく苦労しているのだと思う。
光の見えない絶望と、未だ心休まらない毎日の中で疲弊しきっているのだと思う。
目の前で人が流され、それを助けられなかった無力感もあるだろう。
同情に過ぎないと言えばそうなんだろうけど、気持ち察するに余りある。
私は震災前とさして変わらない生活の中で、できることがあればやるだけ。
それで良いのだと思っている。

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