刑の重さ

ふとこんなニュースが目に付いた。
・遺族、被告に殴りかかる 殺人、死体遺棄求刑
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090625-00000164-san-soci
 被告が、山田和則裁判長に促されて閉廷直前に「刑に服します」と述べるなどした後、
 長男は「なぜ謝らないのか」と言って被告に殴りかかろうとした。
これが犯罪被害者、遺族の気持ちなんだな、、 と。
昼前にはこんな記事もあった。
・銀行員殺害の少年に懲役5~10年=無差別にトラックではねる-千葉地裁
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090625-00000053-jij-soci
 昨年11月、沢田智章さんを軽トラックではね殺害したなどとして、
 殺人罪などに問われた会社員の少年(19)の判決公判が千葉地裁で開かれ、
 懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。
 裁判長は「誰でもいいから人を殺そうと被害者をはねた行為は、
 冷酷かつ残忍で、極めて悪質」と指摘。
 一方で、少年に軽い精神遅滞があり父に暴力を受けて育ったことから
 「罪の重さを認識させて反省させ、更生させることが適当」とした。
 少年は「父親を困らせてやろうと思った。誰でもよかった」などと述べていた。
「誰でもいい」「父を困らすため」との理由で無関係の人間を轢き殺す。
「冷酷で残忍」ということなのに、早けりゃ5年で出てくる。
人を1人殺しておいて、5年ですよ。
精神遅滞? 暴力を受けてた? そんなこと被害者には関係ない。
罪の無い被害者は想像を絶する苦しみの中で命を絶たれ全ての人権、人生が奪われ、
遺族はかけがいの無い大切なものを突然亡くし、取り戻すことは叶わず、
そのくせ加害者には”更生”とかいう”ぬるい道”が用意される。
バランスがおかしいと思うんですよ。
刑を重くすれば、それは社会的犯罪抑止力にもなる。
ただそれが度を過ぎれば、生きにくい社会になることは想像に難くない。
逆に刑を軽く”更生の道”を用意すれば、加害者が1度の過ちで人生を棒に振ることが無い。
そのバランス。
全くのゼロ・トレランスでは”悪意の無いうっかりミス”が人生の致命傷になってしまうが、
ではこういった”悪意の加害者”に、更生の道は果たして必要なのだろうか?
人間である以上、”感情”が全てだと思うんだ。
もちろん、全て感情で動いていたら人間が人間である理由がなくなるけど。
でもね、
 -貴方の1番大切な人が無残にも殺されました
 -犯人は謝りもせず、誰でも良かったと言い放ちました
 -そして犯人は○年後にのほほんと出所し、天寿を全うしました
これ、納得できる人がどれだけいるんだろう?
日本が「仇討ちが許されない法治国家」であるのは、ある意味
「貴方の代わりに司法がしっかり犯人を罰します」ということではないのだろうか?
それは機能しているのだろうか? それとも、そもそもそんな意味は無いのだろうか?
何度か同じようなこと書いてるけど、毎回モヤモヤする。
裁判員制度で、なにか変わってくるのかもしれないね。

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