あなたはこうして産まれた

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先日かみさんがね、
「子供たち見てるとね、かわいくてかわいくてなんか目がウルウルしちゃうお」
って言っていた。
わかる。うん、よくわかる。
嬉しい気持ち、大切に思う気持ち、産まれてきてくれて、今まで元気に育ってくれて
ありがとうというか、とにかくそういう気持ちでいっぱいになるときがある。
人生をしみじみ振り返るにはまだ早い年齢だけど、
 -かみさんと初めてデートした時
 -一緒に行った旅行
 -結婚式
 -仕事から帰ったら「なんか妊娠したかもだお!」と叫んでいた時
 -婦人科についていって、初めてエコーの写真で枝豆のシルエットみたいのを見た時
 -出産に立ち会った時
書き切れないほどたくさんの出来事を帰りの電車で思い起こすたび、
かみさんと子供が愛しくて仕方なくなる。
で、帰宅してかみさんの頭をなでくりまわしたり、ほっぺたをいじくっていたりすると
「なにねん! なんかうっとうしいのねん!」
と怒られる。柔らかなわき腹とかをつかんだ日には、マジギレされる(笑

オリコンの「もっともハッピーなニュース」だかで取り上げられていた。
(「ハッピー」ってのとはちと違うのも含まれてるみたいだけど)
・あなたはこうして産まれた
 http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2008/10/22/new0810221401.htm
こういう機会、すごくいい事なんじゃないかと思う。
実際私も、自分自身が”親”になるまでは”親心”ってもんを理解していなかった。
「親の心子知らず」とはよく言ったもんだよね。
そりゃあ親が私を大事に思ってくれているのは自覚していたけど、
もっと本質的なところでの親子の絆というか、親が子供を見る目というかさ。
こういった機会を設けることで、
 -君は本当に祝福され、期待され、存在するだけで(親は)幸せなんだよ
 -親というものは無条件で君の全てを受け入れ、その全てを愛しているんだよ
ってことを伝えてあげられるんじゃないかと。
逆に言うと、こういう”場”がないとさ、改めてそんなこと言う機会って無いもんね。
大げさかもだけど、もしかしたらそれによっていじめられている子や
何か大きな悩みを抱えている子が救われることだってあるかもしれない。
そして自分は1人だけの孤独で孤立した存在ではなく、
自分の命が大きな価値のあるものだとわかってくれるかもしれない。
なんかさあ、無機質で渇いた時代じゃない。
効率と結果だけが求められ、人と人とのアナログな部分がどんどん削られる。
隣に住んでいる人がどんな人かも知らない。道で何かあっても、周りは傍観者ばかり。
そんな中、”自分の価値の本質”を見つけるのって難しいと思うんだよね。
だからこうやって、
「君という存在は、その存在自体が祝福されているんだ」と、
「君が生まれてきたとき、家族がどれだけの笑顔と拍手で迎えたのか」と、
「君がお腹の中にいるとき、毎日毎日母親が何を話しかけていたのか」と、
そういうのを伝えてあげるのも親の役目な気がするんだ。

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