2児の父親が、こんな悲観的なことを抜かしていたらダメなんだろうけど。
なんかね、この時代に生まれてくる子供は幸せなんだろうか、、 と。
未だに先が見えない不況、アホ鳩ぽっぽは無駄に金をばら撒こうとする。
かつて自分たちがカブトムシやカマキリ、バッタを捕まえたような自然は
どんどん少なくなり、高層ビルに挟まれた中で、効率化と生産力と結果を求められ、
泥だらけになって遊ぶ暇もなく知識を詰め込まれる。
極端で狭い視野での見方だけどね。
でも、言わんとすることはわかってもらえるんじゃないかと思う。
この年齢になって、未だに疑問に思うことがある。
なぜ人間はストレスを抱え不安におののきながら働かなければいけないのか?
2足歩行により手を自由に使うことができ、脳が発達し、
効率的な狩猟や農業で”飢え”を克服できるようになった。
更には医学の進歩で、かつては”死の病”の恐怖が激減し平均寿命も伸びた。
自転車ができ汽車ができ、車ができ飛行機ができ、、 どんどん便利に。
今では、ネットで注文すれば翌日には手元に商品が届く世の中だしね。
けど、便利さの代償として、失われた物って大きいんだろうな、、 っと。
こんな反抗期のガキみたいなことを言っていても仕方ないし、
現実的には子供にそれなりの教育をし、豊かな生活を送れるようしてやりたいし、
現状の中で良い道を見つけていかないといけないわけだけど。
…
まだ小さい頃、親戚の家に遊びに行っては空き地でバッタを捕まえまくった。
1晩放っておいて、ほとんど死なせてしまったことがあってからは、
捕まえても帰りにはまた放してやった。
カマキリを捕まえ、トンボを与えて食べられていく様を見ていたこともあった。
オタマジャクシを狭い容器にたくさん入れすぎ、共食いしてたこともあった。
ジャングルジムで遊んでいる時、中ほどから友人が転落し(大事には至らなかった)、
子供なりに骨は折れていないか心配し介抱した。
グルグル回る円形のジャングルジムのような遊具では、遠心力の強さを知った。
せっせとヨコバイを捕まえては、自作の釣り針のようなものにつけ池の鯉にあげ、
近所のおっさんにコテンパンに怒られた。
たまには友達とケンカし、殴られて泣いたりしたこともある。
いろんなこと、とかく”命に関わること”を学ぶ機会がすごく減っている気がする。
カマキリにトンボを与えるなんて残酷だけど、
子供のうちにそういうところから”命”ってものを認識し、”死”と言うものを実感し、
有限である人生の価値観の礎の1つとなるんじゃないかと思うんだ。
ちょっとしたことで、簡単にナイフで人を刺す事件とかあるじゃん?
加害者って、こういう経験に乏しかったんじゃないかと思ったりするんだよね。
命ってなんなのか、刺したらどうなるのか、もし命を落としたらどうするのか、、
そういった想像力に乏しく、感情を抑えきれず、衝動的に動いてしまう。
そんな感じ。
なんか話の筋がブレブレ(笑
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